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製造業の設計開発領域での AI 活用 – 「身体性」の原理から考える(後編)

こんにちは。製造業のお客様を技術支援しているソリューションアーキテクトの中西です。

本ブログは前編・後編にわかれたブログシリーズの後編です。

ハードウェア開発とソフトウェア開発の原理的な違い

前編では、「身体性」という概念を通して、現代の AI がハードウェア設計のコア業務で活躍しにくい理由を原理的に解き明かしました。「そうは言っても、ソフトウェア開発では生成 AI が強力にエンジニアを後押ししていることは事実じゃないか。なぜものづくり全般に適用できないのか」というツッコミを受けそうです。ということで、ハードウェア開発の中の機械設計と、ソフトウェア開発の中のプログラミングを例として、それらの原理的な違いを体系的かつ詳細に深掘りしていきます。

図 3: ハードウェアの機能は物理学に基づく無数の相互作用の中から生じるが、ソフトウェアの機能は有限の人為的ルールに従って生じる

プログラミング (図 3 右側)

エンジニアは、特定のコード実行環境を想定し、その世界で動くコードを記述します。この環境はランタイム、OS、ハードウェアの階層構造からなり、すべて人間が設計した明示的なルールに従います(未定義動作や放射線の影響などを除けば、そのように期待されています)。

ソフトウェアの動作原理は、コード実行環境が定める人為的ルールです。コードが解釈され実行されると、メモリやストレージの状態変化が起き、これが機能として発現しますが、この結果も人為的ルールの範囲内でのみ発生することが期待されます。この人為的ルールの数は有限です。そうでなければ、コンパイラやインタプリタのサイズが無限大になってしまいます。

そういう意味では、ソフトウェアの動作原理はある程度限定的であり、把握しやすいと言えます。エンジニアはこの動作原理を学ぶことで頭の中でコードを動かしながら、あるいは、コードを開発環境で実際に動かしてみた結果からフィードバックを得ながら、開発します。

機械設計 (図 3 左側)

機械設計では、エンジニアは部品の形状と材質を決定します。ここでは、幾何公差、表面性状、表面処理、熱処理なども一般化して「形状と材質」と表現することにします。しかし、その決定には物理環境との無数の相互作用(図 3 の赤い矢印)を考慮しなければなりません。それこそが機械の動作原理だからです。作用反作用、温度変化、音、摩擦など、非線形かつ時間変化する相互作用はまさにカオスです。

「法則がわかっている物理現象なので CAE などでシミュレーションできるのでは?」と思われるかもしれませんが、モデル化もせずに多数の物理現象を手当たり次第にシミュレートして設計パラメータを決定することは不可能です。よくある思考実験である「宇宙にある全ての素粒子の位置と運動量がわかれば、それをシミュレーションして完全な未来予知ができる」が現実的でないのと同様です。機械部品は物理環境(系)と常に相互作用しており、完全なシミュレーションができる範囲を超えています。エンジニアが職務を全うするためには、この無数の相互作用と対峙し、「適切に」ハンドリングしなければならないのです。

プログラミングにおける「コードを仮想的あるいは実際に動かしてみて……」のような開発方法は機械設計では原理的に通用せず、プログラミングとは異なるタイプの思考が必要になるということです。

無尽蔵に増える考慮点

物理環境での無数の相互作用を相手にすることがどれだけ大変か、例を使って説明します。

図 4: ステンレスフライパン

筆者は最近、図 4 のようなステンレスフライパンを買いました。フライパンには可動部がないので機械として比較的単純な部類です。なんとなく AI でサクっと作れそうな形に見えるかもしれません。さて、この設計者は何を考えてフライパンの形を決めているでしょうか。材質があらかじめ決まっているとすると、設計者として筆者なら以下を考えます。

  • 柄と本体のスポット溶接の数と位置、および溶接跡が内壁の洗浄性に与える影響
  • 強火で加熱した際の熱伝導を考慮した柄のパイプ寸法と人間工学に基づく取付角度
  • フライパンを傾けて液体を注ぐ時の注ぎやすさを考慮したフチの加工方法
  • ステンレス – アルミ – ステンレスの3層貼り底の熱膨張による応力に耐える接合方法
  • 洗浄性や食材の返しやすさを考慮した内壁の曲率半径とプレス成形時の金属流動性を踏まえた肉厚設計
  • (……書ききれませんが、無数に出てきます)

フライパンですらこれほど大変なのに、複数の部品からなる機械ならもっと大変ですね。

設計が決まれば、その設計が要件を満たすかを一つ一つ精査したくなると思います。頭で考えてもいいですし、わからなかったら、ある考慮点にスコープを絞って物理現象をモデル化したうえで、CAE を使って計算することもできます。もしそれも難しければ、実物を作ってテストできます。そうして全ての考慮点についてフィードバックを繰り返す方法なら、AI のような存在にも機械設計ができるでしょうか?

その答えは No と考えています。

機械設計では身体性知能が役に立つ

上に箇条書きした考慮点の数々はかなり網羅的に見えますが、限定的とも言えます。なぜなら「いきなり地球の重力が反転したらフライパンはどうなるか」とか「万が一身長 10m の人間がいても柄のサイズはこのままでいいのか」とか「もし空気の粘度が上がって水のようになったらフライパンを振れるのか」とか、そういう突拍子もない無限個の思考を排除できているからです。 何を馬鹿なことをと言われるかもしれませんが、これは AI の分野で「フレーム問題」と呼ばれる概念と同様だと考えています。

フレーム問題とは、AI が直面する難問の一つです。これは、ある状況で「何が関連し、何が関連しないか」を判断する能力に関わります。人間はある状況下で直感的に「考慮すべきこと」と「無視してよいこと」を区別できますが、AI にこの能力を持たせることは困難です。

実際の製品設計では、設計者は物理環境への理解に基づいて「考慮すべき範囲」を適切に設定します。これは単なる知識の適用ではなく、身体的知能を駆使した高度な知的プロセスです。フライパン一つとっても、設計者は、物理環境における無数の相互作用を考慮するのと同時に、無限にある「考慮しなくてよい可能性」を自然に排除しています。以上から、依然としてハードウェア設計においては、身体性知能ならではの「フレームを適切に設定する能力」が必須と言えるでしょう。

たしかに、CAD ベンダなどを中心に 3D ジオメトリを生成できる「ジェネレーティブデザイン」の AI ツールは既に世に出ています。これらのツールは設計者が与える制約条件のもとで形状を生成しますが、そのプロセスは機械設計全体の流れの中では限定的である上、製造プロセスを考慮できないために量産部品への適用には課題がある現状です。そのためこれらのツールは機械設計のコア業務で広く活躍できるレベルに到達していません。「フライパンとして使えそうな形」を生成してくれるツールをありがたいと感じる場面もあるかもしれませんが、それよりむしろ、機械設計の本質は上記のような細かい無数の考慮点のほうにあります。

機械設計に必要なすべては、その機械が製造の過程あるいは使用される過程で、外界とどのように相互作用し、どのような物理現象を生むのか、に関する身体性にもとづく想像力です。時間変化するカオス的相互作用のある物理空間で発達した知能(=身体性知能)のみが、これを理解できるのです。

現代の AI を製造業に活用するには

AI/ML の技術は次のように分類され、一般的にはそれぞれ次のような強みを持っています。

  • 従来の ML: 数値予測、最適化、異常検知、画像認識などの分析に強みを持ちます。
  • 生成 AI: テキストモデルは文書作成、知識検索、説明生成、レポート作成に最適です。マルチモーダルモデルは図表付き文書や動画からのデータ抽出、画像や音声などの生成に活用可能です。

AWS は製造業を 5 つの主要領域で捉えています。

  • 設計開発領域
  • 生産領域
  • スマートプロダクト & サービス領域
  • サプライチェーン領域
  • サステナビリティ領域

本ブログのスコープである 設計開発領域 について業務レベルにドリルダウンして、AI/ML の技術ごとに活用可能性を概観してみようと思います。

図 5: 設計開発領域の業務ごとの AI/ML の活用可能性

本ブログで深ぼって論じてきた 基本設計・詳細設計 は身体性知能が必要なため△評価です。一方で、企画・構想設計、生産技術との連携、プロジェクト管理といった業務の中で、言語的コミュニケーションが中心の業務あるいは画像からの情報抽出などが役に立つ業務では、生成 AI が強みを発揮します。解析・シミュレーションは数値計算・最適化に関する従来の ML(擬似的なシミュレーション結果を出力するサロゲートモデルを含む)が活用できる可能性があります。設計のコア業務以外に目を向ければ、身体性知能が必須ではなく、AI/ML の技術を効果的に活用できる領域が広がっていることがわかります。

まとめ

本ブログでは製造業の設計領域のコア業務に AI が活用できるかを論じました。ある業務で AI が活躍できるかどうかは、その業務が身体性知能を必要とするかどうか、という原理から考えるアプローチを提案しました。現代の AI の限界を理解し、それ以外の適切な領域で AI/ML を活用することで、大きなビジネス効果を得られます。このために、製造業のお客様は HAQM Bedrock, HAQM SageMaker, AWS IoT など多様な AWS サービスのエコシステムを活用できます。

近い将来、AI のパラダイムシフトが起こる可能性はあります。技術の進化は速く、本ブログで「難しい」と述べた部分も、モデルの改善によって(身体性知能の完全な再現ではないにしても)かなり近いところまで到達するかもしれません。ユースケースや時代によって最適な AI モデルが変わる中で、簡単にモデルを切り替えられる HAQM Bedrock のメリットは大きいです。AWS は幅広い LLM をラインナップしており、お客様は最新のモデルを最小の労力で試し、実際の業務に組み込むことができます。

我々は普段から AI を使うなかで、AI の能力に感嘆することもあれば、本ブログで示したような限界を目にすることもあります。しかし、絶え間ないイノベーションがこの壁を一つずつ取り払っていくはずです。我々が知能を真に理解できる日を心から楽しみにしています。

著者紹介

中西 貴大 (Takahiro Nakanishi)

アマゾン ウェブ サービス ジャパン合同会社 ソリューションアーキテクト
AWS Japan のソリューションアーキテクトとして製造業のお客様をご支援しています。好きな AWS サービスは AWS IoT Core です。機械も含めてものづくり全般が好きで、自分と同い年の愛車を整備したり、計器デバイスを自作したりしながら大事に乗っています。